森毅(もり・つよし)さんご逝去
六稜OB(58期)の数学の著名人:森毅(もり・つよし)さんが7月24日ご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り致します。

願わくば、六稜トークリレーで“数学とはなんぞや”とでも題するトークを拝聴したかったです。58期の大先輩方々とはトークリレーの後、アルコール研究会などと題して十三の富五郎などで元気良く一杯ご一緒させて頂いておりますが、・・・また寂しくなります。
本日は、母が他界して10年目の命日です。
もう立派な仏になられましたので遺影は心の中にしまいました。
これからも天国から人類の行く末を見守ってください。
[以下、朝日新聞記事2010/07/26]
数学者で社会問題にも独特な視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月、自宅で料理中に重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。自宅は京都府八幡市西山和気6の11。
東京都生まれ。幼少・青年期は大阪府豊中市で育ち、宝塚歌劇にも親しんだ。旧制三高(現在の京大)へ。そのころから歌舞伎や長唄、三味線などに熱中したという。東京大理学部に進学して数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年に同教授となり、91年に退官した。
京大教員時代に深夜のテレビ番組に出演した。関西弁のユニークな語り口が注目され、多芸多才ぶりが評判となった。京大紛争中にバリケード内で数学の講義をするなど、「最後の名物教授」と親しまれた。剣客のような容姿からついた「一刀斎」というニックネームでも知られる。
退官後も自称「老人フリーター」として幅広く活動した。講演や執筆のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。文学アンソロジーの編集や書評、時事問題など興味の幅は広かった。
特に教育問題に関心が深く、活発に発言を続けた。「失敗しても、またやり直したらええやんか」と若者たちにエールを送り、個性を大切にすることを説いた。自身については「一人っ子で協調性は弱いけど、社交性はあるんや」。
専門は解析学。「ものぐさ数学のすすめ」などの著書を出版し、数学を通して何を学ぶかなど、教科書にはない数学の楽しみ方を発信した。数学者の遠山啓氏が創立した民間教育団体「数学教育協議会」にも参加した。
09年2月27日、1人でフライパンを使って昼食を作っていたところ、コンロの火が服に燃え移り、体全体の30%以上に重いやけどを負って大阪府内の病院に搬送された。そのまま入院し、治療を続けていた。
画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」「元気がなくてもええやんか」など著書も多数ある。
◇
<画家の安野光雅さんの話> 数学でもそのほかの分野でも、専門用語でなく普通の言葉、自分の言葉で話す人でした。だから、数学者じゃない私とも、世間話のように数学の話をすることができた。2度目に会ったのが対談となり、昼間から翌日の夕方までで一気に話した。それが「数学大明神」となった。疲れたけれど、本当におもしろかった。常にニュートラルで自由。存在感の大きな人でした。
<井上章一・国際日本文化研究センター教授(歴史研究)の話> 京大で森さんの授業を受けた時、証明の途中で「こんなはずじゃなかった」「このやり方は失敗やったな」と言う姿が印象的だった。後にご本人に「予習していなかったのですか」と尋ねると、「確かに僕はずぼらだったけれど、先生がぶざまな姿を生徒に見せることも大事なんだよ」。専門家はほころびのないよう物事を進めがちだけれど、森さんらしい見識ある構えだな、と感心させられた。
心よりご冥福をお祈り致します。

願わくば、六稜トークリレーで“数学とはなんぞや”とでも題するトークを拝聴したかったです。58期の大先輩方々とはトークリレーの後、アルコール研究会などと題して十三の富五郎などで元気良く一杯ご一緒させて頂いておりますが、・・・また寂しくなります。
本日は、母が他界して10年目の命日です。
もう立派な仏になられましたので遺影は心の中にしまいました。
これからも天国から人類の行く末を見守ってください。
[以下、朝日新聞記事2010/07/26]
数学者で社会問題にも独特な視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月、自宅で料理中に重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。自宅は京都府八幡市西山和気6の11。
東京都生まれ。幼少・青年期は大阪府豊中市で育ち、宝塚歌劇にも親しんだ。旧制三高(現在の京大)へ。そのころから歌舞伎や長唄、三味線などに熱中したという。東京大理学部に進学して数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年に同教授となり、91年に退官した。
京大教員時代に深夜のテレビ番組に出演した。関西弁のユニークな語り口が注目され、多芸多才ぶりが評判となった。京大紛争中にバリケード内で数学の講義をするなど、「最後の名物教授」と親しまれた。剣客のような容姿からついた「一刀斎」というニックネームでも知られる。
退官後も自称「老人フリーター」として幅広く活動した。講演や執筆のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。文学アンソロジーの編集や書評、時事問題など興味の幅は広かった。
特に教育問題に関心が深く、活発に発言を続けた。「失敗しても、またやり直したらええやんか」と若者たちにエールを送り、個性を大切にすることを説いた。自身については「一人っ子で協調性は弱いけど、社交性はあるんや」。
専門は解析学。「ものぐさ数学のすすめ」などの著書を出版し、数学を通して何を学ぶかなど、教科書にはない数学の楽しみ方を発信した。数学者の遠山啓氏が創立した民間教育団体「数学教育協議会」にも参加した。
09年2月27日、1人でフライパンを使って昼食を作っていたところ、コンロの火が服に燃え移り、体全体の30%以上に重いやけどを負って大阪府内の病院に搬送された。そのまま入院し、治療を続けていた。
画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」「元気がなくてもええやんか」など著書も多数ある。
◇
<画家の安野光雅さんの話> 数学でもそのほかの分野でも、専門用語でなく普通の言葉、自分の言葉で話す人でした。だから、数学者じゃない私とも、世間話のように数学の話をすることができた。2度目に会ったのが対談となり、昼間から翌日の夕方までで一気に話した。それが「数学大明神」となった。疲れたけれど、本当におもしろかった。常にニュートラルで自由。存在感の大きな人でした。
<井上章一・国際日本文化研究センター教授(歴史研究)の話> 京大で森さんの授業を受けた時、証明の途中で「こんなはずじゃなかった」「このやり方は失敗やったな」と言う姿が印象的だった。後にご本人に「予習していなかったのですか」と尋ねると、「確かに僕はずぼらだったけれど、先生がぶざまな姿を生徒に見せることも大事なんだよ」。専門家はほころびのないよう物事を進めがちだけれど、森さんらしい見識ある構えだな、と感心させられた。
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