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大地震両川口津浪記石碑

大地震両川口津浪記石碑
大阪市浪速区幸町
2021.11.15撮影ポイント

大地震両川口津浪記とは、大阪府大阪市浪速区幸町にある、岩で作られた自然災害伝承碑。過去2回の南海地震において発生した津波が大坂に襲来して幾多の死者を出した旨を記述し、将来発生するであろう津波や地震に対して同様の被害を出さぬように警告している。大坂の住民が過去の南海地震での津波を忘れていたがために、過去と同様の死者を出した事実などが、石碑には刻まれている。

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石碑全文

 嘉永七年(1854年)、6月14日午前零時ごろ大きな地震が発生した。大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら4~5日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
 安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで1.4メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
 道頓堀堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
 大黒橋から西の道頓堀川、松ケ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋はあっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲になった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
 その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かった聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
 今後もこのようなことが起り得るので、地震が発生したら津波が起ることを十分に心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、何よりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところを選んでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
 津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもある。、海辺の田畑にも泥水が吹き上がってくることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は用心が必要がある。
 津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいように墨を入れ、伝えていってほしい。

安政2年(1855年)7月建立
 

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テーマ : 大阪 - ジャンル : 地域情報

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