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大塩平八郎終焉の地

靭公園にある地碑
大塩平八郎終焉の地
2021.03.15撮影ポイント

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大塩平八郎は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、 陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。 1837年飢饉にあえぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を 断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。
乱後大塩平八郎は・格之助父子は、この地に隣接した靱油掛町の美吉屋五郎兵衛 宅に潜伏したが、幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼び かけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。大塩の行動は新しい時 代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民に語り継がれている。 大塩事件研究会

テーマ : 大阪・北摂 - ジャンル : 地域情報

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