FC2ブログ

野島断層保存館 その3

野島断層保存館 その3
兵庫県淡路市小倉
2021.05.26撮影ポイント

動画

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震は六甲・淡路島断層帯が活動したために起こったもので、中でも構成断層のひとつである野島断層は震源に最も近い断層である。

DSC_2808.jpg

DSC_2807.jpg

昭和の南海地震・津波による傷跡
第二次世界大戦が終わって1年あまりがすぎた1946(昭和21)年12月21日、紀伊半島から四国西部にかけての太平洋沿岸をマグニチュード8.0の大地震が襲いました。昭和南海地震の発生でした。震央に近い高知県の沿岸部では、震度6強の大きな揺れで多くの建物が倒壊しました。さらに地震発生後30分以内に高さ10mをこえる大津波が襲来しました。この南海大地震による揺れと大津波により、三重、和歌山、徳島、高知などの各県は、死者・行方不明者1443人、倒壊家屋1万1千棟以上という大きな被害を受けました。

DSC_2815.jpg

紀伊半島から四国の沖合をのびる南海トラフ沿いで起こる南海地震は、歴史記録からみると100~150年間隔で繰り返してきたことがわかっています。昭和南海地震の発生からすでに63年が経過し、2020年前後に次の南海地震が発生する可能性もあると言う地震学者もいます。現在は、二度とこのような大きな被害をださないよう、十分な地震・津波対策をとっていく時期に来ているといえます。

DSC_2782.jpg

DSC_2783.jpg

DSC_2816.jpg

DSC_2814.jpg

テーマ : 兵庫県 - ジャンル : 地域情報

野島断層保存館 その2

野島断層保存館 その2
兵庫県淡路市小倉
2021.05.26撮影ポイント

動画

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震は六甲・淡路島断層帯が活動したために起こったもので、中でも構成断層のひとつである野島断層は震源に最も近い断層である。

DSC_2813.jpg

DSC_2812.jpg

DSC_2810.jpg

兵庫県南部地震は、兵庫県南部を震源として1995年(平成7年)1月17日に発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めての大都市直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。

近畿圏の広域が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランド)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。

DSC_2777.jpg

DSC_2778.jpg

DSC_2779.jpg

DSC_2780.jpg

DSC_2806.jpg

テーマ : 兵庫県 - ジャンル : 地域情報

野島断層保存館 その1

野島断層保存館 その1
兵庫県淡路市小倉
2021.05.26撮影ポイント

動画

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震は六甲・淡路島断層帯が活動したために起こったもので、中でも構成断層のひとつである野島断層は震源に最も近い断層である。

DSC_2817.jpg

DSC_2818.jpg

道路を破壊した地震断層は、上下のずれが約50cmの断層崖となって南に続きます。ここでは大きくずれた主断層に並んで、最大で25cmほど上下にずれた副断層が海側の地面に生じています。主断層で約1m、副断層で約40cm、それぞれ断層を境にして山側の地面が右へずれています。これら二つの断層は、地下深くでは一つの断層につながっていると考えられています。

DSC_2788.jpg

DSC_2787.jpg

DSC_2784.jpg

DSC_2785.jpg

DSC_2786.jpg

DSC_2789.jpg

DSC_2793.jpg

DSC_2794.jpg

DSC_2795.jpg

テーマ : 兵庫県 - ジャンル : 地域情報

上野遺跡・上野青池南畔窯跡

上野遺跡・上野青池南畔窯跡
大阪府豊中市上野東
2021.05.07撮影ポイント

この遺跡は、昭和4年(1929年)に豊中中学(現 豊中高校)の生徒が発見したものです。そのころ、今の上野小学校から豊中高校付近まで続いて丘の上に、アンザン岩の剥片にまじって、石のやじりや石の小刀などの石器がしらばっていました。その石器から縄文時代の遺跡であることがわかりました。又、今から約千四百年前(古墳時代後期)、この付近から桜井谷にかけて、須恵器という焼きものを焼くための窯が作られていました。

DSC_2557.jpg

DSC_2555_20210605154550d1f.jpg

DSC_2556_202106051547054c1.jpg

テーマ : 大阪・北摂 - ジャンル : 地域情報

大高の森

大高の森
大阪府豊中市待兼山
2021.05.09撮影ポイント

旧制大阪高等学校は、大阪府(現 大阪市阿倍野区)に設立された官立の旧制高等学校。略称は「大高」。改正高等学校令に基づき19番目の官立旧制高等学校として設立された。文科(甲類・乙類)および理科(甲類・乙類・丙類)よりなる修業年限3年の高等科を設置した。特にフランス語を専修とする理科丙類を設置したのは、官立高校のうち大高以外では東京高校のみである。生徒は大阪出身者が全体の2/3、市内の中学校6校の出身者だけで5割以上を占めた。卒業生には政治家・官僚は少なく、ジャーナリスト・学者が多いとされる。学生寮として「図南寮」(となんりょう)が建てられた。第二次世界大戦後の学制改革により府立浪速高校と共に新制大阪大学に包括、大阪大学一般教養部南校の前身となった。1949年(昭和24年)5月:新制大阪大学に包括、「大阪大学大阪高等学校」と改称。1950年(昭和25年)3月:廃止。『ウィキペディア(Wikipedia)』

DSC_2544.jpg

DSC_2956.jpg

DSC_2545_20210605140148089.jpg

DSC_2547_20210605140319edd.jpg

DSC_2546.jpg

DSC_2955.jpg

テーマ : 大阪・北摂 - ジャンル : 地域情報

月別アーカイブ
最近のコメント
最近のトラックバック